歴史
本社宮のはじまり
祈跡柱 The Origin源家三代の祈りが、
この地より東国へ。
本社宮の境内に建つ三柱は、懐島八幡宮(現・本社宮)を創建した河内源氏の祖・源頼信、二代・源頼義、三代・源義家が、石清水八幡宮を勧請して八幡大菩薩に戦勝を祈願し、それぞれ乱を平定した――源家三代にわたる由緒ある社の跡地を、後世に伝える祈跡柱です。
源家三代にわたり懐島八幡宮に戦勝を祈願し、平定を成し遂げたことが、河内源氏が東国へ勢力を広げる契機となりました。

この地と、その時代
Prologue当時この地は懐島郷といい、南側一帯は芦原の茂る湿地帯――砥上が原でした。丘の先端には佐塚明神が祀られ、地域の人々の拠り所となっていました。
平安時代中期になると、飛鳥の世より続いた律令制度が崩れ、朝廷の統制は弱まります。在地の豪族が半ば独立した権力を持って横行し、土地の領有をめぐる争いが相次ぎました。朝廷はこれを鎮めるため勅令を発し、武将を東国へと派遣します。

源家三代の祈り
千年の物語 Three Generations懐島八幡宮、創建 ― 本社宮のはじまり
源頼信・頼義父子は、勅令により平忠常の乱(下総の乱)鎮圧のため東征の途次、懐島郷・佐塚明神の丘に京都の石清水八幡宮を勧請して懐島八幡宮を創建し、戦勝を祈願しました。これにより本社宮が始まります。
1031年(長元四年)平忠常、降伏する
前九年の役 ― 再びの戦勝祈願
源頼義・義家父子は、安倍一族の乱(前九年の役)平定の途次、懐島八幡宮に再び戦勝を祈願しました。
1062年(康平五年)平定する後三年の役 ― 八幡太郎義家の祈り
源義家(八幡太郎義家)は、清原一族の乱(後三年の役)平定の途次、懐島八幡宮に重ねて戦勝を祈願しました。
1087年(寛治元年)平定する鶴嶺八幡宮を創建 ― 「本社宮」と称される
神恩に感謝した義家は、隣郷・浜之郷に社領を寄進して懐島八幡宮を奉遷し、鶴嶺八幡宮を創建しました。これにより懐島八幡宮は元宮の地として「本社宮」と改称され、以来、この地の鎮守として崇敬されてきました。
のちの歩み
Later Years現在地の南隣に遷座する。
関東大震災により、社殿・鳥居が倒壊する。
現在地に再遷座し、今日に至る。
誉田別命
本社宮の主祭神は誉田別命(応神天皇)。八幡大菩薩として、古来より武運長久・必勝の神として崇敬されてきました。源家三代の祈りも、この御神徳に捧げられたものです。